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altnightの音楽用備忘録

Merzbow / Merzbird

Merzbird

Merzbird



Merzbow - Black Swan (Merzbird) Masami Akita

Number

Recorded at Bedroom April-May 2003.

1. Black Swan
2. Mandarin Duck
3. Emu
4. Victoria Crowned Pigeon
5. White Peafowl
6. Brown Pelican

Merzbow はいつ聴いても最高すぎて胃に悪い

Merzbow を知ったのは大学初期だったと思うけど、実際に聴き始めたのは2年の途中くらいだった気がする。大学1年の芸術論という講義で Merzbow が流れていたのが印象深い(が、今考えるとなかなかな講師だ)。Janis にある辺境コーナー、マージナルと名付けられたこの棚まわりのものをあさってた時のふと思い出したのだった。あとは菊池大谷本「憂鬱と官能の学校」まわりの影響もなくはない。それで聴き始めたのだが、いまでは Janis にあった15枚程度のアルバムは基本的にすべて借りてしまった。Merzbow の作品数は100を超えているから1割でしかないからたったそれだけともいえるけど、やはり単一のミュージシャンでこれほどまでに借り漁ってしまう魅力のある人はそうそういない。

Merzbow(秋田昌美)なんて、どれを聴いても一緒じゃないか」

それはねーよ……と言いながらも実際どこまで違うのかがなんだかよくわからない感じではある。フリーインプロヴィゼーションのアルバムを聞くみたいに、これは自己を映す鏡のようなものでもあって、結局「なにが音として存在しているか」ではなく「自分はこれを聴かされてどう思うか」でしかないかもしれない。というと抽象画にも似ている(美術のほうはわからないけど、Merzbow という名前自体美術用語だったよね)。Max/Mspで機械的に操作されて結果的に存在したものがどこまで人間の意図した音足りうるのか?というと微妙な話だしたしかに似たようなものをひたすら量産しているともいえる。けど、自分もミニマルノイズの名付けてちょっとした録音をしたことがあるけど、やはりアルバムやトラックに名前をつけ、ジャケをつけ、録音もなんらかのかたちで操作している以上そこにはそのときの気分であるとかのなにかが残っているというのはある気がする。あるいは、自分では同じようなものをいつも作ってるつもりでも時を経るに連れなにかが変化していくというのはある。
秋田昌美の著書「ノイズウォー」は読もう読もうと思ってまだ読んでないのだが(Amazonの中古で5000円以上する)、以下の本では秋田昌美のやることは「音の内蔵をえぐり出すこと」「ある微小なサイン波ひとつあれば、それはいくらでも加工して仕立て上げることが出来る」というようなことが書かれてあった。彼の音楽はそういう無限に音の内側からつくられるのだとしたら、たしかに Merzbow の作品を聴き続けるのは実はただのマンネリズムなのかもしれない。けどまあ、おれは別にそれでいいや。それに、マンネリズムであるとか王道であるとかは、好きだ*1

Merzbird 、聴きやすいですね

今作 Merzbird 自体は自分が Merzbow を聴いた中でもけっこう新しいほうだ。録音もわりと新しい。このアルバムは意図的か知らずかわからないがわりと明示的な反復によるグルーブ感が彼の作品のなかでは比較的際立っている感があるので(意図的に反復感をなくしているような作品もある中で)、わりと聴きやすい*2。踊れるとまでは言わないけど、わりとポップな印象を受ける。まあこれは本当に印象でしかないけど、他の作品に比べるとなんか聴きやすいんだよね。

オチなんてないけど

Merzbow の名盤は 1930 らしいけど、自分にとってはそんなに区別はなくて、わりとこの Merzbird が聴きやすくてポップで好きです。

*1:でなければ Merzbow にかぎらず似たような「ジャズ」なるものをこんなに聴き漁ったりしないよね?

*2:とはいうものの、「なにがあればグルーヴなのか、ミニマルなのか、反復さえあればいいのか」という疑問への答えは自分では「なにかが一定周期で反復さえしていれば、それはビートでなくてもグルーヴになり、心地良い」ということになって、おれは「ミニマルノイズ」を録音した